津軽三味線のあゆみ

津軽三味線の始祖 「仁太坊」

仁太坊の里

「仁太坊」こと秋元仁太郎は、安政4年7月7日に金木町神原に生まれました。 8歳のとき疱瘡がもとで失明。12、3歳のころ上方から流れてきた女三味線弾きから手ほどきを受けたと伝えられています。 「人まねでね おめの三味線を弾け」が仁太坊の三味線哲学です。この哲学は、現代の津軽三味線奏者の礎になっています。

嘉瀬の桃

嘉瀬の桃

黒川桃太郎は、仁太坊の芸に魅せられ24歳のとき弟子入りしました。 大正時代、唄会の人気者で、中でも「調子変わりのよされ節」は桃の独壇場でした。 今日歌われる津軽の三つ物、「よされ節」・「小原節」・「じょんから節」の型を作ったことから津軽民謡中興の祖と言われています。

白川軍八郎

白川軍八郎

仁太坊の最後の弟子で9歳で弟子入りし、わずか3年で師匠を凌ぐ腕になったと言われています。 仁太坊の「叩き三味線」に対し「弾き三味線」を得意としました。 自然界の音を三弦に昇華させ、津軽三味線の神様と呼ばれ、木田林松栄や福士政勝といった名手にも多大な影響を与えました。

津軽三味線会館住所 津軽三味線会館
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